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特集記事
不登校問題についての一考察
自分を発見できる豊かな時期として過ごせる環境・仕組みづくりを
|不登校|発達障害|多様性|親の会|
つくば子どもと教育相談センター 代表 穂積妙子
はじめに
不登校問題を考える上で、我が国での不登校問題の歴史を知ることは大切です。1950年代から医学界では不登校(当時は学校恐怖症と呼ばれた)に関する論文があります。ここでは不登校の歴史と不登校への行政や学校の対応を述べ、また現在不登校児を持つ家庭の保護者が抱えている困難や悩みなどに言及したいと考えます。
写真1 靴下人形(小学校高学年女児が作成)
1. 不登校の歴史と、行政・学校の対応
はじめに、でも述べましたが不登校に関する論文は1950年代に精神分析理論を採用していた医師たちによって書かれています。ここでは不登校という言葉ではなく「学校恐怖症」と呼ばれ、精神疾患という扱いです。原因は家庭環境―母子密着や過保護と父親の無関心、とされていました。治療は母子分離をするための子どもの入院治療が推奨され千葉県の国府台病院が拠点病院でした。院内学級が設置され、子ども達の教育環境は保証されていました。1980年代になると学校に校内暴力や非行の嵐が吹き荒れ、そのため学校の管理体制が強固になり、恐怖や不安あるいは学校に対する反発で登校できない(しない)児童生徒が増加しました。この時期は不登校学校原因説が主流になり「登校拒否」と称された時代です。
1992年文部省(当時)は「特別な子どもが不登校になるわけではなく、どの子でも不登校になりうる」という内容の通達を発表、不登校理解へのコペルニクス的転換と言われました。文部省は不登校生徒が多い中学校にスクールカウンセラー派遣を始め、その後小学校、高等学校にも派遣を広げました。しかし学校ではスクールカウンセラーとの連携の方法が確立しておらず、カウンセラー任せの状態を生みました。
2000年前後からは発達障害を持つ児童生徒の不登校事例が増えてきました。教育現場では発達障害の理解が進んでおらず混乱がありました。2005年発達障害者支援法が制定され発達障害の認知が進むようになりました。教育現場では2007年に特別支援教育が始まりましたが個々に多様性を持つ子ども達に十分対応できず、また支援内容の地域格差もあります。現在不登校児童生徒に占める発達障害圏の児童生徒の割合は30パーセントから60パーセント以上と研究者により大きく数値が異なる状況です。2016年に教育機会確保法が制定され、不登校の児童生徒に学校以外での教育の機会を保障する制度ができましたが、財政的な支援が不十分で学校外のフリースクールなどの整備は進んでいません。
2. 不登校になる要因
児童生徒が不登校になる原因は、1つのものではなく複合的なものと思われます。
原因を調べるため、文科省の調査(※1)や民間(NHKなど)の調査(※2)がされていますが、結果には相当な違いがあります。教員が回答した2018年度の文科省の調査では、小学生では家庭に関わる状況が1位、不安が2位、無気力が3位、友人関係(いじめを除く)が4位、学業不振が5位です。中学生では不安が1位、家庭に関わる状況が2位、友人関係(いじめを除く)が3位、無気力が4位、学業不振が5位で、小・中学校共、いじめは下位(1%未満)でしかありません(※1)。
一方、子どもが回答したNHKの調査では学校の先生との関係やいじめが上位(共に20%以上)に挙がってきています。学校の決まりや校則に馴染めない、という理由も中学生では上位です(※2)。これらの結果から考察すると、学校(教員)は不登校の要因を個人と家庭環境に求めがちという1950年当時の見方から脱していないのではないか、と思われます。「親の育て方の問題です」と学校やカウンセラーから指摘され、「不登校親の会」に泣きながら駆け込む母親は現在でもまれではありません。しかしながら、2020年度の文科省調査(2021年発表)では、初めて子ども対象の質問を行い、不登校の背景への考察が以前より多様化し、深まっている様子です。この動きには注目したいです(※3)。
この項の最初にも書きましたが不登校になる要因は1つではなく幾つかの理由が重なっています。不安や無気力もそうなってしまう背景があるはずです。子どもによっては個人的特性の影響が大きい場合もありますが、特性に応じた教育や対応がされていれば不登校にはならないはずです。不登校になってしまった子どもたちに理由を聞いても明確に答えられないことが多いのは、その渦中では子ども自身にも分からないことが多いからです。一定の時間(時期)が過ぎて自分の不登校を客観的に振り返ることができた時に「それらしい理由のいくつか」を語ってくれる子どもや青年に私たちはたくさん出会っています。
実例を一つ上げます。私が中学3年から高校3年まで約4年間支援を続けた男子生徒の例です。中学3年の連休明けくらいから不登校になりました。中3の時点では自分の思いや考えを言語化するのが不得意な生徒で、私の専門を生かした造形制作を伴う作業療法的なかかわりをしていました。その彼が大学1年になった時当時の話をしてくれました。原因の一つは学業不振で、特に英語が不得意であったこと。そのためしばしば放課後の補習に呼び出され、好きだった部活に参加できなくなったそうです。部活欠席を挽回するため無理をして出た試合では練習不足のためケガをして顧問に迷惑をかけた、と悔やんでいました。家庭では父親にできのいい兄と比べて批判され、体調が悪いので学校を休ませて、と頼むと父親に「仮病だろう」と言われ車で無理やり学校まで連れて行かれたとのことです。母親は父親の言うなりで味方にはなってくれなかったと。父親が熱心さのあまり、家庭での生徒の様子を逐一担任に報告していたのも辛かったそうです。
(事例は個人情報の観点から内容に支障のない範囲で改変しています)
写真2(左)木の枝人形(中学生男子数名が作成)
写真3(右)木製パズル(中学生男子と「子どもの家」スタッフの共同制作)
3. 家庭や保護者の悩みとは
20年以上、不登校に関する相談を受けている立場ですが、保護者の悩みは基本的には変わっていません。いくつか例を挙げると
・不登校になってしまうとまともな未来がない。
・上級学校に行けない、就職もできないかもしれない。
・学業が遅れ学力が低下する。
・社会性が育たない。
・不登校に対して夫婦の認識、対応が一致せず家庭不和になる。
・子どもに対する声掛け、対応に苦慮する。
・昼夜逆転でゲームばかりしている。注意するとキレる。
など未来に対する不安と現在の状況への対応の困難さです。個人相談や親の会で伝えていることは、不登校の解決には一定の時間がかかること、原因探しをするよりも現状を受け止め、子どもの不安や緊張に寄り添う関わりをすること、家庭の中で無理なくできる役割を考え家庭での居場所を作ること、家庭内外で体験の幅を広げることなど、それぞれの子どもの特徴や状況を見ながら助言しています。将来への不安については進路ガイダンスを開き、具体的な対応方法があることを伝えています。
不登校を体験した保護者からは「不登校は親にとっても子どもにとっても得難い経験だった」「子どもや教育に対する見方が変わった」などの声を聴きます。不登校の子ども達が、不登校の時期を苦痛な時期としてではなく、新たな自分を発見できる豊かな時期として過ごしてくれることを願ってやみません。
※写真は全て、不登校の子どもの居場所「子どもの家」での創作物です
参考文献
(※1)児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査. 文部科学省. 2011-2020. https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1302902.htm(2021.11.1参考)
(※2)不登校新聞. 2019. https://futoko.publishers.fm/article/20440/(2021.11.1参考)
(※3)その他、不登校実態調査 参考文献
・文部科学省. 2021. 不登校に関する調査研究協力者会議(第1回)配付資料 資料2(概要)不登校児童生徒の実態調査結果
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/168/siryo/1422639_00004.htm(2021.11.1参考)
・未来地図. 2021. 不登校を考えるアンケート(保護者向け)結果報告
https://miraitizu.com/18369(2021.11.1参考)
・成重竜一郎. 2021. 不登校に陥る子どもたち. 合同出版
・小野村哲. 2020. つくば市における不登校~急増の実態と推測される原因~. つくば市民白書2020
・穂積妙子. 2020. 不登校相談から見るつくば市(周辺含む)の不登校像と課題. つくば市民白書2020
・日本財団. 2018. 不登校傾向にある子どもの実態調査
https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2019/01/new_inf_201811212_01.pdf(2021.11.1参考)
穂積 妙子(ほづみ たえこ)
1948年 三重県生まれ。お茶の水女子大学人間文化研究科 発達社会科学専攻前期博士課程修了。社会科学修士。臨床発達心理士・つくば子どもと教育相談センター代表。つくば市公設民営フリースクール「むすびつくば」運営協議会委員・相談員、つくば市社会福祉協議会子育て相談員としても子どもに関わっている。
不登校を考える〜第3の居場所の現場から〜
子どもがイキイキ生きる居場所とは
|子どもの居場所|創造表現活動|子どもが育つまちづくり|
アトリエ自遊楽校 新田新一郎
仙台のアトリエ自遊楽校は、週に1回(月4回)子どもたちが「自分をつくる」創造表現活動空間です。2歳からかかわると小学6年生まで10年間、卒業後大学生になってボランティアとしてかかわったり、その後、親になって自分の子どもを連れてきてくれたり、子育て相談の場にもなっているなど、「新しい地域コミュニティ」になりつつあるこの場所から不登校を考えてみました。
私は宮城県仙台市でいわゆる「第3の居場所」といわれる「アトリエ自遊楽校」(2歳〜小学6年生まで310名が在籍)という創造表現活動の場を開設しています。昨年まで宮城県が不登校者数4年連続最多であり、仙台市は3項目(不登校・いじめ・暴力行為)で20政令都市の中でワースト3に入っていることもあり、アトリエの中にも学校で苦戦している子どもがたくさんいます。
アトリエでは「遊び」と「美術」が合体した「あそびじゅつ」というコンセプトで創作し表現する活動を行なっています。「図工」は教科書がありますが、「美術」の答えは一人ひとりの中にあると考えています。「美術する」とは、他の人の真似をしないということ。そして自分の内面を見つめ、たった1人の「自分をつくる」こと。そのことが、不登校で苦しんでいる子ども達の救いになっていると考えます。また創作活動は、失敗の連続だったりします。困難に立ち向かう力、ここに不登校問題の解決策とは言いませんが、ヒントがあるような気がしてなりません。
ナナメの関係である私たちスタッフは「〇〇先生」と呼ばれず、「ニックネーム」で呼ばれます。アトリエでは「先生」という存在はいないのです。学校(スクール)の語源は「スコレ」。「余暇」とか「楽しみ」という意味です。そう、アトリエは「楽校」、不登校とされる子どもたちが、イキイキと活動しています。アトリエは不登校児のためのフリースクール的な存在ではないのですが、昨年12月から「アトリエ登校」する子どもが1人出てきました。
A君(5年生)は、朝来るなりうちのスタッフにお茶を入れてくれたり、アトリエの幼児クラスのお手伝いをしたりの日々を過ごすのですが、そこでうちのスタッフから「ありがとう」、「たすかったよ」、「すごいねえ」の言葉をたくさんかけられることになりました。読書の時間もたくさん取りました。半年で20冊も読み終えた今年の7月、突然国語のテスト100点をとって褒められ、そのことで自信がつき、それ以来学校に通い出したという経過をたどりました。もちろん不登校の最終的な解決策は学校に通い始めることではありませんが、彼が自分から進んで学校に向かうきっかけになったことは明らかです。不登校問題は学校の教員だけでは解決が難しく、私たちのような第3の居場所との連携を図ることが大変重要になると考えます。
新田新一郎 (にった しんいちろう)
アトリエ自遊楽校主宰・プランニング開代表取締役、こども環境学会代議員、東北学院大学非常勤講師。教育・子ども文化・まちづくりなどをテーマに 「地域の感動をプロデュース」している。仙台子どもセンターの基本構想、子どもミュージカルの プロデュースなど「子どもが育つまちづくり」、 「子どもの参画」を柱としたまちづくり事業を展開している。
URL http://p-kai.com
アートと創造性があふれるこどもの日常
子どもの生きる力を育てる大人の関わり方
|創造性|生きる力|チルドレンズミュージアム|
篠山チルドレンズミュージアム 館長 垣内敬造
高学年になるにつれ、アート(芸術)が苦手という子が多くなるようです※1。原因のひとつに、生活にどう役立つのか分からないということがあるのかもしれません。アートは創造的な行為だとも思われています。では、創造性ってなんでしょうか?日常生活や子どもたちの成長にどのように役立つのでしょうか?
兵庫県丹波篠山市にある篠山チルドレンズミュージアム(ちるみゅー)は、里山に囲まれた元中学校の木造校舎を利活用して2001年の夏休みにオープンした、子どもと子どもの心を持つ大人のためのミュージアムです。旧校舎にはハンズオンで子ども文化を紹介する展示室や、教室全体が木のおもちゃになった部屋などがあります。増築したワークショップ棟では、木工や自然を楽しむワークショップや、地域の食材をかまどで調理するワークショップなどの体験プログラムがあり、「子どもたちの創造性と生きる力を育む」ことを目標に、ちょうど20年前に作られました。
1996年文部省(現文部科学省)の諮問に対する中教審答申※2の中に「生きる力」への言及があり、これを受けて2002年以降実施の学習指導要領で「総合的な学習の時間」が創設されました。「ああ、あの頃か」と思われる教育関係者も多いことでしょう。これからの社会を生きる子どもたちには、「自ら課題を見つけ、学び、考え、主体的に判断し、行動し、課題を解決する能力および、協調し思いやる心や感動する心などの豊かな人間性が必要」とされ、これを「生きる力」と呼びました。コンセプトはその影響を受けていますが、ちるみゅーは市の教育委員会ではなく首長部局(当時の政策部)が開設し、現在も企画総務部・創造都市課が所轄していて、教育だけでなく地域活性化というミッションも背負っています。
ぼくは設立当初からボランティアとして関わりはじめ、2013年度から館長として運営に携わっている民間人です(2008年度から指定管理者制度を導入)。ちるみゅーは、上記のように地域のための博物館という成り立ちから、設立以来多くの市民ボランティアに支えられてきました。創造性と生きる力を持つ子を育むことは、地域の願いでもあると思っています。
校庭だった場所には芝生が植えられ、わざと凸凹をつけたり小高い丘も作られています。ちるみゅーの芝生広場には、ブランコや滑り台といった“よくある遊具”は置いてないので、来館者から置いて欲しいと請われることもあります。でも大人の方々にはもう少し我慢して、子どもたちの遊び方を見てほしいと思っています。
ある日、ちるみゅーで子どもたちが、「ブランコはないの?」といい出しました。「なければ作ればいいじゃん」ということで、子どもたちが木の枝にロープを吊って自作することになりました。このとき大人のファシリテーターたちは、子どもたちの発想に寄り添ってロープを準備したり、背が届かなければ手伝ったり、危険がないよう見守るだけでした。
だんだんブランコの完成が近づくと、ある子は「宣伝しないとみんな遊んでくれないのでは?」といって宣伝ポスターを描き始めました。また、ある子は「たくさん集まり過ぎたら、順番に並ばせる役がいるから私がやる」とか、「私は後ろから押してあげる役」など自分から言い出しました。子どもたちだけでどんどん役割分担を決めていったのです。そこで子どもたちが作ったのは、ただの“ブランコ”ではなく“ブランコ遊び”という社会性のある遊び方の創造だと気付きました。
この創造力こそ子どもたちに身に付けてほしい力だし、次回からも遊びを創り出してほしいと思ったので、子どもたちが帰ったあと手作りブランコは片付けました。滑り台の場合も丘にブルーシートを敷いて作ったりしますが、終わったら片付けます。
ムッシュ香月さんは、子どもがやろうとする前に大人が指導しすぎると指摘されています。ちるみゅーでのムッシュ香月さんのアートワークショップは、とにかく子どもの自発性を大切にし、ある種のハプニングを期待するものでした。非日常的なハプニングが起こると、子どもたちは“ゾーン”に入りどんどん集中力が高まるのを感じます。
ベルリン在住で遊具デザイナーでもある桂川茜さんは、遊具をデザインするとき子どもの参画をとても重要視されています。子どもの参画による発想の転換は大人にとっても驚きである一方、子どもたちの自己肯定感が強まり、生き方に変革が起こっていると思います。遊具を設計するところから教育が始まっているところにドイツの文化度の高さを感じます。
創造性を、革新的で今まで見たことのないオリジナリティのあるもの、というように構えて捉えると、凡人には生み出せない作品のような“すごい”もの(こと)を思い浮かべます。でも、ちょっと待ってじっくり日常の遊びを見ていると、子どもの生き方に日々イノベーションが起きていることに気付きます。生き方が変わるなんて“すごい”創造性!子どもたちの日常にはアートと創造性が充満しているんですね。
注:
※1末永幸歩著,『「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考』, 2020年ダイヤモンド社
※2文部省 審議会答申等 (21世紀を展望した我が国の教育の在り方について(第一次答申),1996年)
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/960701.htm
垣内敬造 (かきうちけいぞう)
大阪芸術大学大学院博士後期過程単位取得退学。1984 年よりグラフィックデザイナーとして活動。篠山チルドレンズミュージアム館長。兵庫教育大学 教員養成・研修高度化センター教授。丹波篠山市教育委員。垣内敬造事務所アートディレクター。
大人は透明人間
子どもの世界は沼地だ。一度入るとおもしろ過ぎて抜け出せない。
|やりたい気持ちが原動力|溶解体験|予想外から生まれる世界|
四條畷学園短期大学 ムッシュ香月(香月 欣浩)
私が子どもの世界に入って28年が経過した。いればいるほど居心地がよく、奥深く面白いこの世界に、ますます引き込まれていく。
そして気が付くと私は我を忘れ、子どもたちと遊んでいる。“自分が溶けていく”そんな感覚だ。子どもたちも私と同じように、色々なことに夢中になり、自分と「もの・ひと・こと」との境目が分からなくなる「溶解体験」を日々送っていると思われる。
私たち大人も周りが目に入らなくなり、あっという間に時間が経過していく経験がきっとあるはずだ。世界と自分が一体化する瞬間だ。そんな環境や時間を私は子どもたちに「与えている」のではなく、「子どもたちと一緒に楽しんでいる」。
例えばアトリエの真ん中で水をまき散らしている子どもがいる。
絵の具のついた筆を天井に向かって振っている子どもがいる。いたずらではない。表情は大まじめで、眼差しは鋭く本気だ。「どうなるんだろう?やってみたい!知りたい!」これが子どもたちの原動力となって、行動に火をつける。子どもは大人の様に後先を考えない。いやそもそも「後先」が分からない、知らないから「やってみたい!」のだ。
そんな子どもたちと一緒に活動をしているとワクワクする。子どもにとって、生まれて初めての経験、挑戦、発見、驚きの場面に立ち会える。最高なポジションだ。
私は子どもたちに助言をしない。先回りをせず子どもの後ろから子どもと同じ方向を笑顔で見ている。自分を認めてくれる、応援してくれる大人が側にいる。それだけでいいと考えている。ひょっとすると子どもたちは私のことを「大人」ではなく「仲間」と思っているのかもしれない。そうならば最高にハッピーだ。
ここに紹介する写真のほとんどは、子どもたちがたくさんの材料(紙、板、プラスティック、土、絵の具など)や道具(スプレー、釘、スポンジ、コーヒードリップなど)の中から自分で選び組み合わせて活動を行なっているものだ。
天井から吊るしたトイレットペーパーに、スプレーで絵の具を吹き付けていた子がいた。大量に絵の具をかけるので、色水は流れ落ち床にどんどんたまっていく。池になり、湖になり、海となっていった。子どもの興味はトイレットペーパーから、床にたまった色水に移っていく。色水におもちゃを浸して持ち上げる。子どもの表情が一変した。「ムッシュ!見て見て!!」子どもが見せてくれたドーナツ状のおもちゃを見ると、穴の部分に色水の膜が張っていた。そして膜の中で色水の模様が流動しているのだ。それは見たことのない“美”の世界、発見であった。
もし私が床に大量に溢れた色水を雑巾で拭くように助言していたら、子どもも、私もこの発見、感動を失っていただろう。「発見は想像もしていない○○から生まれる」常識だけで活動を行なっていたら世界が狭くなってしまう。
これからも子どもたちが見たことのない世界を発見していくために、私は透明人間に徹していこうと考えている。そして子どもと一緒に冒険、挑戦をして「新しい世界」の扉を一生開き続けていく。
ムッシュ香月(香月 欣浩)(むっしゅかつき)
2014年NHK Eテレ「いないいないばあっ!」造形指導
小学校美術専科教諭を経て、現在は四條畷学園短期大学保育学科 准教授・キッズアート研究所代表
子どもの声を聴く社会を築くために
子どもアドボケイトを知っていますか
|子どもアドボカシー|子どもコミッショナー|子どもの権利| 意思表明権|
子どもアドボカシーセンターNAGOYA代表理事
奥田陸子
子ども・若者の声が社会を変える
子どもの言葉や行動にハッとさせられたことのある大人は多いと思う。そう、子どもは大人が忘れてしまったような新鮮なものの見方、発想力の持ち主なのだ。その子どもらしい発想力が引き出せれば、大人も幸せになり、社会は変わるだろう。
コロナウイルスの蔓延に伴い、世界中が大騒動しているが、これを機に、子どもたちも変わってきている。自分の頭で考え、自分の言葉で意見が言える子どもたちは、大人に向かい合って自分たちの考えを言葉にし、それを通して、よりよい未来をつくることをあきらめがちな大人たちに、「そんなことはない」、「社会は変えることができるんだ」というお手本を、あちこちで示し始めている。
東京都板橋区の小学生チーム「ザ・レッドムーン」が「サッカーできる場所がなくて困っています」と区長に陳情した結果、区議会で慎重に協議され、子どもたちの願いが一部採択されたという事例をWEBで読んだ。兵庫県南あわじ市の神代小学校では、市が決めた運動会中止の理由を理解はしながらも、例年通りの運動会はできなくても工夫して自分たち流のやり方で運動会を実施したいと、大人を説得して、やりたいことを成し遂げたという事例も、テレビで見た。これらの事例はほんの氷山の一角に過ぎないことは想像に難くない。NHKのテレビ番組で紹介されたZ世代(ゼット世代)注1)も、どちらかというと並みの子どもからはみ出した子どもや若者がITを駆使して世界中に仲間を増やしていった事例であった。
もう20年も前に私が関わって日本に紹介した『子どもの参画―コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』注2)にも、大人といっしょに子どもや若者が社会を変えていった海外の事例が紹介されているが、それらに匹敵するような事例が日本にも広がりつつあることをうれしく思っている。
子どもの意見表明権行使を助ける「子どもアドボカシー」制度
一方で、いじめや虐待、貧困、親の病気などで苦しんでいる子どもたちも少なからずいるが、その子たちは自分の気持ちを声に出せない、意見を表現する言葉も持たないことが多い。そういう子どもたちが、誰かの助けを受けることで自分の気持ちや意見が表現できるようになれば、その子たちが抱えているいじめや虐待その他の問題の解決にどれだけ貢献でき、前向きな明るい社会を実現できるか、想像するだけで気持ちが明るくなる。
日本の政治の世界でも、動きが出始めた。塩崎元厚生労働大臣が声をかけて、「子ども基本法」の試案、立法化に向けて議員たちの勉強会が開かれたと聞く。議員さんたちが子どもの福祉ばかりでなく教育の分野でも現状や子どもたちの実態を知り、対策や制度改革を真剣に考えてくれるようになれば、日本社会も変わることが期待できる。
すでに、福祉分野では、子どもアドボカシー制度が日本でも広がり始めた。「子どもアドボカシー」とは、
1)子どもがその時に言いたいこと(願い)や気持ちを、誰かが大きな声でわかりやすく(マイクになったつもりで)人に伝えること
2)子どもが自分の声で言える時は、それを励まして、できるだけ子ども自身の声で人に伝えるように支援すること
3)子どもの生活や将来に影響が及ぶ大事なことを、大人たちが決めようとしている場で子どもが声をあげられない場合、大人が子どもの代理者(アドボケイト)になってその子どもの意見を人(おとな)に伝える人およびその行為
などを指す。声に出す場合だけでなく書類に書きこむ場合もこれに準ずる。
子どもの権利を守り進めるために
私は、ここで、英国の子どもコミッショナーのこともお伝えしたい。これは、子どもの権利条約を批准した英国の機関であり、国内の子どもの権利の実情を把握し、調査し、それを全国の人に知らせると同時に、子どもの権利実現をさらに進めるための政策提言を行う役割を担う。私はこの英国子どもコミッショナーのことを設立当初からずっと注目してきた。英国では、この「子どもコミッショナー」と「子どもアドボケイト」が車の両輪として機能していることを見てきた。願わくは、日本も子どもの権利を守り進めるために英国のような進め方を取ってほしい。
注1 NHKテレビ番組「Zの選択」HPによると、Z世代とは、現在25歳以下(1995年以降生まれ)のジェネレーションのことで、物心つく頃からデジタルもSNSも使いこなす“ソーシャルネイティブ”と呼ばれる世代を指し、新しい価値観を持つと言われている。
注2 ロジャー・ハート著『子どもの参画―コミュニティづくりと身近な環境ケアへの参画のための理論と実際』木下勇・田中治彦・南博文監修、IPA日本支部訳、萌文社、2000年
奥田陸子(おくだりくこ)
名古屋市在住。1988年から子どもの遊ぶ権利のための国際協会(IPA)の日本支部の会員として活動してきた。現在子どもアドボカシーセンターNAGOYA」代表理事。